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獏の見た夢 1.帽子の男 


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獏の見た夢 


1.帽子の男

 今日の日付はわからない。ここがどこなのかもさっぱ りわからない。
  ここに来てから、おそらく三日たった。
 昨日起こったことが忘れられない。
 これから、この不思議な世界の記録をつけていこうと思う。
                  
                      『誰かの日記』より抜粋




***

 森の中などで、突然人が居なくなることを『神隠し』と言ったりする。  
 じゃあ、これは?
 彼女は自分に問い掛ける。
 今彼女にわかっている事は、目が覚めたら見知らぬ場所にいた、ただそれだけ。少し前まで自分がどこにいたのかさえわからななかった。
 整理された部屋を見回す。全体が暖色でまとめられた落ち着いた部屋だ。窓は一つあるようだったが、クリーム色のカーテンがかかっていた。彼女が寝ていた寝台の脇に置かれた、繊細な装飾の施された木製の椅子には、一組の洋服が置いてある。これに着替えろということだろうか。
なるほど、自身が身につけているものは、寝巻のように見える。お世辞にも良い生地とは言えない、ごわごわとした固い布で、淡い青が独特の斑な模様を作っている。彼女には少しサイズが大きいのだろう、ぶかぶかの服は身体のシルエットを隠す。囚人服のようだ。と彼女は思った。
 
 のろのろと洋服を手に取り、着替えながら現状を整理する。記憶が無くても、案外平然としているものだ。自分が女だということはわかる。しかしそれ以外には、自分がどんな顔なのかさえも鏡のない部屋では確かめることができなかった。
 「そういうの、困るんだよね」
 ぼやきながら全身を見回す。白いぶかぶかのパーカーから伸びた黒色のジーンズは、細長いシルエットを浮かばせる。
 準備運動の要領で身体を動かす。「……ん」一体いつからここに寝ていたのだろう。久しぶりに動いたのか、動かすたびに痺れるような痛みをともなった。
 大きな伸びをしたとき、身体から何かが落ちるのが目に入る。服に付いていたのだろうか。落ちたのはメッセージカードで、几帳面そうな整った文字が並んでいた。

『目が覚めたら、服に着替えて、一階に来て下さい。部屋を出て右手に階段があります。階段を降りて、二番目の部屋に入ってください。帽子を被った男が待っています。』
 
「…………これは、」
 私に、か。ポツリと呟いて、紙を弄ぶ。
 逃げてみようか。
 そんな考えがふと浮かんだ。自分が誰で、ここはどこなのか。 そんなことすらもわからないのに、ここが安全なんてどうして言えるだろう。
 一通り部屋は調べた。上質な箪笥には埃一つ入っていなかった。遮光カーテンの向こうは、生い茂る樹が見えるばかりだ。このまま部屋にいても、埒が明かない。うんうんと考えを巡らせる。
 とりあえず、帽子の男に会おう。それで何かあったら、それまでだ。
 よし。呟くと、紙を折り畳んで、ポケットにねじ込む。捲った袖から細い筋肉質の腕が伸びる。
 
 「でも、その前に……」この建物内を散策してみよう。記憶があったとしても、こうして行動した気がした。好奇心が首をもたげる。
 アンティーク風の装飾が施されたドアノブに手をかけ、そっと扉を開ける。彼女の予想に反して、扉は音もなく開いた。
 顔だけを出して左右を見渡す。メッセージカードに書いてあった通り、廊下の突き当たりには階段があるようだ。彼女が当初想像したよりも、かなり遠くではあるが。
「意外と広い……」
 階段まで、壁には等間隔で扉がある。他にも住んでいる人がいるのだろうか。決して狭くは無い部屋が、いくつか並んでいるようだった。
 彼女が今いる所は、どうやら大きな建物のようで、振り返った先にも長く廊下が伸びていた。スパイのように、キョロキョロと左右に目をやる。誰もいないことを確認すると、彼女はメッセージカードの言葉とは反対の方向に、階段を背にして歩き出した。
 ゆっくりと壁伝いに歩いていた彼女は、二つ目のドアの前で立ち止まった。中から声がする。声の高さからして、男性だろうか。口論をしているのか、時折怒鳴り声がまざる。
 好奇心をくすぐられ、盗み聞きをしてやろう、と扉に近づき耳を澄ます。ちょうどその時、特別大きな声が聞こえ、それはすぐに足
音に替わった。コツコツと、足音は扉に近づいてくる。
  「……あ、これやばい」部屋の主は、もう扉の側にいるはずだ。きっとすぐにドアが開く。頭ではわかっていても、動くことが出来ない。今は開けちゃダメだって。彼女の心の叫びはあえなく破れ、張り付いていた彼女ごと、扉が勢いよく開いた。
「……! うわっ、悪い、大丈夫か!?」
「痛……」
 倒れ込んだ彼女に、部屋の主も驚いてかけ寄って来る。大丈夫か? 声をかけられて、ゆっくりと顔をあげる。
 革靴、黒のパンツスーツ、それからワイシャツにグレーのベスト。整った顔はあまりに色白で健康的とはいえない。
 そして最後に見えたのはカーキ色のキャスケット――「……あ」部屋から出てきたのは、今はあまり会いたくなかった帽子の男だった。

 

   
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獏の見た夢 2.アオイ 

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2.アオイ

 そこは八畳程の小部屋だった。
 生活をする部屋というよりは、仕事部屋として使われているようで、整理された棚には、ファイリングされた書類が背表紙に書かれた番号の順に並ぶ。僅かに開いたスペースには、仕事道具なのか、はたまた彼の趣味なのか、大小様々な透明の瓶が置かれていた。
 窓際にある机は、木の木目が主張されたデザインで、深みのある茶色が窓から入る明かりで反射する。几帳面に整理された書類と共に、机上にも同じような瓶が数本並ぶ。透明の瓶の中には何も見えなかったが、コルク栓が閉じてあった。

 今、彼女の目の前、椅子に座って彼女を見ている男がこの部屋の持ち主だ。不健康そうな青白い肌をもつ整った顔立ちは、まだ若い。しかし、目深に被った帽子の向こう側には透き通った白い髪の毛が覗いていた。
 部屋の前で最悪の出会いを遂げた後、着ていた借り物の服をみてか、彼はすぐに彼女が目を覚ましたのだと気がついた。そして半ば強制的に一階のこの部屋、メモ用紙に書かれていた『二番目の部屋』まで連れて来たのだった。

「……あのさ、聞いてる?」
「あっ、ごめん」
 部屋をキョロキョロ見回していた彼女に、帽子の男が声をかける。全然聞いてなかったや。彼女が呟くと、あのなぁ、と苦笑いをした。そんなに気にしていなかった風で、そのまま話を続ける。
「しかし、部屋の前にいたから驚いたよ。俺の部屋、誰かに聞いたのか? それとも迷ったとか?」
「いや、たまたまあの部屋の前に……」
「ははは、まあ、広い建物だしな」
 運が悪いなお前。爽やかな笑顔を向けられて、つられてへらへらと笑う。ぶつけられたのは彼女だったが、 盗み聞きをしようとしていた手前、恨みがましいことは言えない。彼女の額には大きなたんこぶが出来ていた。

「驚かせてごめん」
「良いさ。無事で良かった。じゃあ、いくつか聞きたいことがあるんだけど」
 組んでいた足を降ろし、彼女に向き直る。その拍子に机の上の瓶が倒れた。しっかりと閉まっていなかったのかコルク栓が外れる。瓶に変化は見られなかったが、倒れた瓶を拾い上げ、彼は小さく舌打ちをした。
「……悪い、気にするな。その、名前を教えてくれるか?」
「ええと、覚えていない」
「じゃあ歳は?」
「全部覚えていないんだ。名前だけじゃなくて、今までのこと何もかも」
「……何もかも?」
 そうそう。肯定し、なんでだろうなぁ、と首を傾げる。
「じゃあどこから来たのかは……?」
「だから覚えていないんだって」
覚えていたらとっくに帰ってるよ。
 おどけた風に彼女が言う。軽い口調で発された彼女の言葉が、瓶をもてあそんでいた帽子の細長い指をピタリと止めた。俯いた目の前の男は、何かを考え込んでいるらしい。名前さえ覚えていないのに、それってそんなに重要? 口にはしないが、彼女は心の中で思う。

 やや暫くの沈黙の後、帽子の男は唸り交じりに話を再開した。
「……珍しいな」
「ごめん」
「いや、謝ることはないよ。じゃあ、とりあえず名前つけるか」
「名前?」
「……何か思い出すまで使ってくれよ。呼ぶのに不便だからさ。『アオイ』とか、どう?」
「あおい? それって今考えた?」
「……そうだけど。嫌? もし嫌なら別のを」
「いや、いいよアオイで。なんだかしっくりくるし」
 言って、何度か口の中で名前を復唱する。そうしていると、自分は昔からそう呼ばれていたような気がした。
 
「君はなんて呼べばいい?」
「俺? 俺は、『帽子』で」
自分のかぶっている帽子を、指先でトントンと叩いて、よろしくな、と微笑む。
「え、名前教えてよ」
「みんなそう呼ぶから、名前と変わらないだろ?」
「帽子脱いだら? 脱帽さん?」
「うるさい。脱いでも帽子だ。呼んで振り向きゃ、何でもいいだろ」
吐き捨てるように言って、目深に被った帽子をさらに下げる。鍔の下から拗ねたように睨む淡いグレーの瞳が、お前の前では絶対に脱がない、と意思表示をしていた。
「ごめんごめん、帽子さん」
 それにしても、名前を教えたくない理由でもあるのだろうか。すごく変な名前とか?
 言う気がないなら名前を当ててやろう。アオイがそんなことを考えている間に、帽子は話題を変えていた。

「これからアオイには、しばらくの間この建物内で暮らしてもらう」
「えっ、ここに住むの!?」
 想定外の帽子の言葉に、思わず立ち上がる。
 アオイの驚きに反して、彼は平然と答えた。
「だって、何も覚えて無いんだろ?」
「うん……、まあ」
「じゃあとりあえずはここに住めば?」
「それもそうか」
「決まりだな。あの部屋は自由に使っていい。何か必要なものがあれば俺に言ってくれ」
 アオイの意見が入り込む余地もなく、帽子はテキパキと話を進める。言いくるめられたようで悔しかったが、見知らぬ所で記憶がない状態ではそうするのが賢明なような気もした。

じゃあ、屋敷を案内しようか。言って帽子が立ち上がる。アオイも次に続く。
 磨かれた曇りのない窓から入る明かりは今はオレンジ色で、そこで初めてもう夕方だったのだと気がついた。
 目覚めた部屋と同じような装飾の施されたドアノブに細長い指をかけて、そうそう、と思い出したように帽子が言う。
「後でアオイに会わせたい人がいるから、付き合ってくれな」
「会わせたい人?」
「そう、そいつは医者なんだが、なかなか目覚めないお前の事を心配していたからさ。目が覚めたって報告しに行こう」
 眠っている間に医者の世話にまでなっていたということに驚く。アオイの想像していた以上に、丁寧に扱われていたということだろか。
 
考え込んで俯いたアオイが、再度顔を上げた時には、帽子はもうドアを開けて廊下に出ようとしていた。追うように外に出て、姿勢の良いグレーのベストの背中に声をかける。
「なんだか迷惑をかけてごめん」
「平気平気、気にするな」
 沢山のドアが並ぶ廊下を、帽子の後について歩く。一つ一つのドアの中からは僅かに物音が聞こえ、人がいるのがわかる。共同生活をしているのだろうか、家族で住むにはあまりに広い建物だった。

ふと、前を歩いていた帽子が立ち止まる。そしてアオイの横に並び、速度を合わせて歩く。
「ここらのドアは引く開き戸でな、存外扉は薄い」
 言って、トントンと横にあった扉を叩く。響いた音は、重厚な見た目よりは確かに薄いのだと感じさせた。
「まあ、アオイだとは思わなかったんだけどさ」
「はぁ?」
何の話だろうと首を傾げるアオイに、帽子は額のたんこぶを指さしてニヤリと笑みを浮かべた。
「怪我をしたくなかったら、盗み聞きは控えた方がいい」
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【貘の見た夢】3.医者 



一話【帽子の男
二話【アオイ

3.医者

 部屋の扉をノックしたのだから、中から人が出てくるのは当然と言えば当然だった。それでも、思わぬ出会いに身構えたアオイは、一歩下がって様子を伺う。
 見た目だけは重厚なその扉は、開錠の音とドアノブの音と、二回の金属音を鈍く響かせる。それから、扉はゆっくりと開く。開いた隙間から煙が漏れ出ているのを見て、アオイがぎょっとして小さく声を上げた。
 煙の正体はすぐにわかった。部屋から出てきた男が煙草を咥えていたからだ。長身の黒い髪の毛はぼさぼさで、ダークグレーの上下のスウェット姿が妙に似合っている。気怠そうに金縁の外枠にもたれる姿は、フォーマルな服装の帽子とは対照的で、ちぐはぐな雰囲気を醸し出していた。

「何か用かい? 帽子」
第一声はぶっきらぼうで、初対面のアオイでも機嫌が余り良くないことはすぐにわかった。いずれ屋敷の住人に会うのはわかっていたが、こんな出会い方じゃなくてもいいのにと思う。出直すべきではないかと帽子に目を向けるが、彼は気に留める素振りも見せない。
「よう、ヤブ医者。ちょうど前を通ったんだ。今からいいか?」
『ヤブ医者』というのは、アオイの知る限り悪口のはずだった。機嫌を案じるどころか、この場に不相応な返事が続き、アオイは思わず息を飲む。前に立つ帽子に、男は露骨に嫌な顔を向ける。当たり前だ。しかし、ヤブ医者と呼ばれたことには特に指摘はせず、右手に持っていた吸いかけの煙草を口元へ運んだ。
「ああ、今は仕事中でな」
「嘘だな。あんた、仕事中は煙草を吸わないだろう?」
「……急ぎの用事かい?」
鼻からゆっくりと白い煙を吐き出す。だいたい君はいつも急なんだ。そう言いながら、再び煙草をくわえた時、ようやくアオイと目が合った。それまでアオイの存在に気が付いていなかったようで、驚いたのか動きが止まる。男の視線が頭からつま先まで、無遠慮にゆっくりと這った。そして、口から煙を吐きながら、ああなるほど、と呟いた。
「やっと目覚めたってことかね」

診察を頼みたいと言う帽子の言葉に、医者の男は余り気乗りしないようだった。渋っている男に、帽子が迫る。
「どうせ何にもしていなかったんだろ? 出来れば早いほうが良いんだけど」
「することが無い訳じゃない。誰かさんが担当している瓶が、なかなか提出されなくてね。作業が進まない」
「それは謝るよ。さっきゼロに戻ったばっかりなんだ。もう少し待ってくれ」
「頼むよ、全く」

「さて、調剤か。ここじゃ無理だな。診察室へ先に行っててくれるかい? 僕もすぐに行くよ」
鍵はこれで。そう言って、帽子に渡したキーケースには、大小様々な鍵が束になっていた。受け取りながら、帽子は眉根をひそめる。
「どれだよ」
「その中のどれかだ」
じゃあ準備をしてくる。言って、呆れる帽子を余所に、医者の男は部屋の中へ消える。金属音が二回鳴る。
残された帽子は、アオイの方へ向き直った。
「ごめんな、案内は後だ。調剤はなるべく早いほうがいい」
一刻も早く。帽子が小さく呟いたのを、アオイは見逃さなかった。瞬間に見せた表情は、どこか焦っているようにも見えた。私の記憶が無いところで何かが起きていた……? 推理するための記憶すら持たないことに、もどかしさを感じる。

「ここだよアオイ」
声がかけられて、現実に戻される。診察室だという部屋は角部屋で、他の部屋よりもかなり大きな作りをしているようだった。扉は他の部屋と同じものだったが、何度も出入りするためかドアノブは変色していた。
 ガチャガチャと鍵を探している帽子の背に、そういえば、と問いかける。
「何の診察?」
「アオイは長い間眠っていたからね、一応診てもらおう。……よし、開いた」
「わ……!」

 帽子が電灯をつけて、部屋の全貌が露わになる。それは、診察室というよりは、実験室のように見えた。
 黒い革張りの椅子が向き合うように置いてあるのは、診察室的と言えるだろう。事務机にもいくつかのガラス容器と、それから小さな箱が載っていた。
 正面の窓はカーテンが閉まっておらず、数本の大木が落ちていく陽に照らされているのが見える。診察室の部屋の右奥は、カーテンで仕切られていて、見ることが出来ないようになっていた。
 扉側と左の壁との二つの壁には棚が置いてある。天井まで届くそれらの棚には、瓶や試験管、フラスコやらのガラス容器の類が無秩序に並んでいた。そのうちのいくつかは濁っていたり、液体が入っていたが、残りはすべて透明で空に見えた。
 
 二つ目の棚を覗き込んでいるとき、医者の男はようやくやってきた。
 アオイは慌てて、棚から離れて医者と向き合う。
「遅くなった、すまない」
着替えてきたようで、もうスウェット姿ではなく、代わりに白衣のようなものを着ている。両手に持っていた瓶を帽子に預けて、医者の男は話し始めた。

「自己紹介が遅れたね、すまない。僕はここで医者をやっている。そうだな、この男が『帽子』なら、僕のことは『医者』と呼んでくれればいい」
「い、医者? ここの人たちは名前は無いんですか?」
「ここで医者をしているのは僕しかいないからね。でもまあ、名前が知りたいのならそのうちわかるだろうね」
一人しかいなければ職業名で呼ぶのは、ここの常識なのだろうか。アオイは悶々と考えるが、医者の自己紹介はすぐに切られてしまう。

「いやしかし、目覚めて良かったね。帽子が連れてきた時はどうしようかと思ったが」
「そんなに大変だったんですか……?」

「まあ、それなりさ。君の名前は?」
「『アオイ』です。今日からですけど」
「アオイ君か。帽子が考えたのかい?」
そう、彼が。言って、医者と共に後ろにいた帽子のほうを向くと、彼はばつが悪そうに目をそらした。
 アオイはきょとんとしたが、医者は面白いことを聞いたと口を開けて笑った。
「珍しいこともあるもんだ! 良い名前じゃないか」
笑われた帽子は、面白くなさそうに、瓶を持ってカーテンの向こうへ消えた。


「さて、元気そうで良かった。ちょっと待っていてくれ、薬を用意する」
医者が踵を返すので、アオイは慌てて呼びとめる。
「診察しないんですか?」
「うん? ああ、もう診察は済んだよ」
「はい?」
「僕は患者の外見を見るだけで、容態がわかるからね」
医者の言っていることが呑み込めずに混乱していると、戻ってきていた帽子が茶々を入れた。
「本当かどうか、わからないぞ。これだからヤブ医者は」
「帽子、余計なことを言うんじゃない」
「どうやって診察を……?」
「診察の方法はいつか教えよう。今は詳しく説明するのは難しいからね。ヒントは『音』だ」
音? そうアオイが問い返すが、医者はそれ以上の追及に答えなかった。
 

「それじゃあ、アオイ君。君の薬だが……」
言いながら、医者は一度カーテンの向こうへ消えた。それからすぐに、何か箱のようなものを持って出てくる。
掌に載ったそれはオルゴールに見えて、アオイは自分の目を疑う。何事かと医者を見ると、彼は一気に話し始めた。

「このオルゴールを聴いてくれたまえ。最初の一週間は一日三回だ。朝起きた時と、寝る前と、その間に一度。聴くときは必ず三回巻いて。多くても少なくてもいけない。二週間目は寝る前だけ。これも三回巻いて、多くても少なくてもいけないよ。音が聴こえなくなるまで使ってくれたまえ。大体15日で聴こえなくなるはずだ。それまで必ず聴くこと。わかったね?」

これだけのことを一息で言うと、医者は黄色の箱にしまって、アオイに差し出した。「一応箱にも書いておいたから」
「……わかりました」
両手に収まるほどの小さな箱を受け取る。側面には確かに、医者が言った通りのことが書いてあるようだった。
「音……、か」
書き殴られた文字を眺めて、アオイは『音』の治療について考える。
当然のように良い考えは浮かばず、ため息を吐いたところで、医者の言葉が割り込んだ。
「じゃあ、後は君しだいだ。何かあったら、僕のところに来るといい」
少しは力になるだろう。そう言うと、医者は白衣を脱ぎながら足早に出て行く。

「俺たちも戻ろうか。必要なところだけ、案内をするよ」
「ありがとう。ねえ、音ってなんだろう」
「……時が来たら教えてくれるさ」
やっぱり教えてくれないのか。唸りながら、アオイは箱とにらめっこを始める。処方箋を何度も読んだ後、奇妙な処方箋の右下に、何故か小さな鳥が描かれているのに気が付いた。
これ、なんだろう。
 新たに考えを巡らせたとき、後ろから声がかかった。
「お腹空いたんじゃない? 部屋に戻る前に、何か食べようか」
みると、帽子はもう扉の所にいて、電気を消す準備をしてアオイを待っている。
 箱とのにらめっこは一時休戦にして、アオイは帽子の後を追った。
 
***

「一、二、三……」

 つまんでいた小さなハンドルを離すと、シリンダーがゆっくりと動き始めた。ピンが櫛歯を弾き、音が鳴り始める。
 オルゴール特有の優しい音色が小さな部屋に響く。あてがわれた部屋の寝台に座って、アオイはその曲を聴いていた。曲はどこか懐かしいような気もしたが、実際馴染みの曲だったのかは知りようが無かった。聴いて、何かを思い出すわけでも無い。
 ただ、薬であるということも忘れ、アオイは目をつぶってその曲に聴き入っていた。
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カテゴリ: 獏の見た夢

テーマ: 自作連載小説 - ジャンル: 小説・文学

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